〜沢内村“いのちの行政”を継ぐ人とまち〜岩手県西和賀町の実践

2010年1月5日 18時24分 | カテゴリー: 江東・生活者ネットワークREPORT

西和賀町国民健康保険沢内病院。61年医療費無料化、62年乳児死亡率ゼロ達成の拠点となった。母子保健センターと高齢者コミュニティセンターを併設。医師不足はここも同じ、昨年5月若い医師が赴任したことは明るい話題とのこと。
西和賀町国民健康保険沢内病院。61年医療費無料化、62年乳児死亡率ゼロ達成の拠点となった。母子保健センターと高齢者コミュニティセンターを併設。医師不足はここも同じ、昨年5月若い医師が赴任したことは明るい話題とのこと。
 2009年の日本は、自殺者が3万人を超え、3日に1人の子どもが虐待で命を落とし、若者の半数は非正規雇用など、生存権をも脅かす厳しい社会状況となりました。
  今から約50年前、「豪雪・多病多死・貧困」の三重苦に苦しむ岩手県沢内村(当時)では、深沢晟雄(まさお)村長の「いのちに格差があってはならない」「生命尊重こそ政治の基本」という理念のもと『いのちの行政』が行われました。この実践は、いまの時代にあらためて、政治や行政の果たす役割とその重要さを問いかけています。
  昨年秋、ドキュメンタリー映画『いのちの作法』(小池征人監督)にも描かれた旧沢内村(現在は湯田町と合併し西和賀町)を訪ねました。

乳児・老人医療費無料化、全国初の乳児死亡率ゼロ
 「いつでも・どこでも・だれでも、健やかに生まれ・健やかに育ち・健やかに老いる」 これは1962年策定の沢内村地域包括医療実施計画の目標。同じ60年代、北欧から始まった社会福祉の理念=ノーマライゼーションに通じる思想は、東北のわずか3千人の村で育まれていきました。
 沢内村、深沢村長の『いのちの行政』は、ブルドーザーで冬の交通を確保する豪雪の克服から始まり、保健師6人の雇用により、乳幼児や妊婦、高齢者の健診や村民の健康と生活改善を進めていきました。
「かまどがえし」(身代をつぶす)と医者にもかかれない貧困には、憲法25条生存権を盾に、国民保険法違反との圧力に屈することなく、61年に1歳未満・60歳以上の医療費無料化に踏みきり、その結果、62年には全国初の乳児死亡率ゼロを達成しています。

『いのちの行政』を引き継ぐ、住民自治の精神
 一方、深沢村政のもとで特筆すべきは、住民自らが人間の尊厳を自覚して日常の暮らしを変えるために、広報と社会教育に重きを置いたことです。これにより、住民の自主性を育て、民主的な自治の力が確立されていきました。
 この民主主義と自治の精神は、「一人でせい(自己決定と参画)、話し合ってせい、みんなでせい(民主主義と協働)」という地域の文化となって根付いていることにも驚きを感じます。
 現在は一部有料としていますが、2度にわたる高齢者の医療費有料化の危機(83年老人保健法施行と沢内病院の赤字)を退けたのは、地域にとって何が大切かを、住民自らが村長や病院長と公開で議論し、話し合いの中から選びとっていった自治の力です。

私たちの『いのちの行政』とは…
 07年11月NHK制作の「その時歴史が動いた」は、沢内村の乳児死亡ゼロ達成の瞬間を描いています。その中で「自分たちは守られて生まれてきた」という住民の言葉が強く印象に残っています。
 コミュニティの一員として「よく生まれてきた」と迎えられる「いのち」の実感、それは老いることにも死ぬことにも通じる、安心して生き続けられる源といえます。このことは、『いのちの行政』がもたらしたもっとも大きな成果ではないでしょうか。
貧困と格差の広がる生きにくい今だからこそ、大切にしたい一つひとつの「いのち」。
 現在、西和賀町では、NPO法人輝け「いのち」ネットワークが中心となり、みちのくみどり学園など児童養護施設の、虐待などで親と離れて暮らさざるを得ない子どもたちを、地域擁護活動としてホームステイなどで受け入れています。子どもたちは西和賀(旧沢内)の自然と文化、人とコミュニティに包まれ癒され、生きる自信を取り戻す取り組みが行われています。
 江東区に暮らす私たちの「いのち」の尊厳は守られているのでしょうか。江東・生活者ネットワークは、半世紀前の沢内村『いのちの行政』の実践を、今日の課題として受け止め、「いのち」の尊厳が守られる江東区づくりに取り組んでいきます。

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